Nippoku Style | 悲しみを必死にこらえる子どもの表情に胸を打たれます
学校には、どこにも図書室があります。生徒だけでなく、教員も借りることができるのですが、普段は本を借りる人が少ないのが現実です。
不思議なもので、私は忙しくなると、妙に本が読みたくなります。忙しい時には、1回の読書にかけられる時間は10分程度ですが、一日に何回も本を開くことを繰り返して読み進んでいきます。
先ほど、図書館から借りてきた小説を読んでいたら、こんなくだりが出てきました。
・・・『焼き場の少年』って写真、見たことあるか?」と清志が訊いてくる。
「『焼き場の少年』?」
「そう。原爆が落とされたあとにアメリカの従軍カメラマンが撮った写真」
清志の話では・・・・
今私が読んでいるのは小説なので、話の内容は“フィクシヨン”です。でも、文章を読みながら「ひょっとしたら、この写真、本当にあるんじゃないかな?」という思いが消えなかったので検索してみたところ、その写真が実在していることを知り驚きました。正しくは「焼き場に立つ少年」というようです。その写真が、
こちらの写真です。
この写真を撮影したのは、従軍カメラマンだったジョー・オダネルさんです。テレビ局のTBSでは、この写真とジョー・オダネルさんを扱った番組を放映していました。その
番組紹介のページに、ジョー・オダネルさんのこんなコメントがありました。
・・・・・・少年は焼き場のふちに5分か10分も立っていたのでしょうか。白いマスクの男たちがおもむろに近づき、背中の赤ん坊をゆっくりと葬るように、焼き場の熱い灰の上に横たえました。
まず幼い肉体が火に溶けるジューという音がしました。それからまばゆい程の炎がさっと舞い立ちました。真っ赤な夕日のような炎は、直立不動の少年のまだあどけない頬を赤く照らしました。その時です。炎を食い入るように見つめる少年の唇に血がにじんでいるのに気づいたのは、少年があまりキツくかみ締めているため、唇の血は流れることもなく、ただ少年の下唇に赤くにじんでいました。
夕日のような炎が静まると、少年はくるりときびすを返し、沈黙のまま焼き場を去って行きました・・・。BS-TBS のページより
唇から血が出るほど強く噛んで悲しみに耐えている子どもの写真を見ながらコメントを読んでいる時、ある光景が脳裏に浮かんできました。それは、2003年11月29日にイラク復興支援に向けて現地で活動中に凶弾に倒れて殉職した外交官の奥克彦さんと井ノ上正盛さんの遺体が、飛行機で日本に着いた時に流されたニュースの映像です。
イラクで命を落とした二人の遺体が飛行機から降ろされる映像を、そのとき私は一人で食事をしながら、深夜のニュース番組で見ていました。
飛行機から降ろされた二人の遺体は、遺族や外務省関係者が並んでいる列の間を、しずしずと進んでいきました。遺族とて、棺を遠くからジッと見守るしかありませんでした。
テレビに映し出された、亡くなったお二人の奥様の表情にも胸を打たれましたが、故奥克彦さんのお子さんの映像が私の心を強烈に揺さぶりました。母親と並んだ女の子が流している大粒の涙。遠くからの映像でもはっきりと分かるほどの、滑走路にポタポタと落ちる大粒の涙。男の子は、自分の前を父親の棺が通り過ぎる時、体を震わせながら必死に涙をこらえ、ジッと下を向いていましたが、とうとう我慢しきれず、片方の腕であふれる涙をぬぐう姿が映し出された時には、私も涙を流していました。
終戦直後に撮影された一枚の写真と、ニュースの映像。そこに共通する悲しみを必死にこらえる子どもの表情。どちらも胸を打たれます。
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