Nippoku Style | 親のありがたさ
 
 今日の午後、ベネッセコーポレーションから講師をお招きして、1年生を対象に進路講演会を行いました。
 講師の方は約1時間にわたり、「第一志望校合格に向けて」という演題で生徒達に熱っぽく語って下さいました。生徒達も、志望校合格に必要な心構えをメモしながら、真剣に聴いていました。そして、講演のまとめとして講師の方が生徒達に伝えたかったこと、それは「物事が成功するかどうかは、能力の限界ではなく「執念」の欠如だ!」ということでした。
 講師の方は、予め生徒用にプリントを作成し、それに従って話をしてくださったので、とてもわかりやすい講演でした。そのプリントの中で、私はこんな囲みの部分が目につきました。
第一志望に合格した人のほとんどは、遅くとも高2の冬までに大学入試を見据えて本格的に受験勉強を始めている。
高3になってからでは遅い!!
 つまり、「2年生で本気にならなかったら遅い!」と言ってるわけです。私もそう思います。担任しているとき、私も口を酸っぱくして同じことを言い続けていました。「現役で志望校に合格して欲しい」という気持ちもありましたが、私は別な気持ちからも「早く本気になれ」と言い続けていました。
 それは、「親が必死に働いてみんなのことを養ってくれているのに、みんながいい加減な気持ちで勉強しているなんて失礼だ」という気持ちからです。実を言うと、私も高校生の時には、親のありがたみを実感として感じていたわけではありません。社会に出て、様々な体験をするようになって初めて、親のありがたみを感じるようになったのです。親のありがたさについて、1993年にこんなホームルーム通信を書いたことがあります。タイトルは「シーンとしてしまった」です。
 僕がほんとうにヤバイと思ったのは、小学校の低学年の頃でした。
 
 小学校の低学年の時には、午前中だけ授業で、午後は放課と言うのがよくありました。学校が早く終わるので、僕たちはうれしくてはしゃぎながら家に帰ったのですが、帰ってきた途端電話がなったのです。銀行からの電話でした。
 
 僕の家は自営業ですが、当時は何もわかりませんでしたが、そのころ僕の家は倒産の危機に直面していたのです。○○時までに、××万円銀行まで持ってこいという内容だったようでした。
 
 電話を受けた母は、家中のお金をかき集めて、何とか一つ目の銀行に納めるだけのお金はできました。僕は、当時は何も理解できませんでしたが、母の尋常でない表情から、幼心にもただならぬ事態を察し、そのお金を持ってT銀行へ無我夢中で走って行きました。しかし、もう一つの銀行へは、期限までの納入はできませんでした。家は倒産しました。倒産の惨めさは小学生の僕にも、よくわかりました。
 
 (中略)
 
 その後、父の努力で何とか再建でき友達と同じ様な生活ができるまでになり、大学へ進学する年頃になりました。僕は、高校2年生までは甘い気持ちで生活していました。3年生になり、自分では必死で努力したのですが、もう間に合いませんでした。結果は、すべて不合格でした。
 
 そして、浪人する羽目になったのですが、「自分の親父は一体どんな仕事をしているのだろう、一度みてやれ」という単純な気持ちで父の仕事場について行ったことがあります。
 
 父の経営する会社はH製作所の仕事を請け負っているのですが、当時H製作所のK棟というすごく大きな建て屋の中であるものを作っていました。僕は、慣れないながらも必死で手伝っていましたが、午前0時を回った頃、父が「もういいから、先に手を洗ってろ」と言いました。慣れない仕事で、正直いってへばっていた僕は、これ幸いと仕事を切り上げ洗面所へ向かいました。
 
 手を洗い終わってふと感じると、今までは自分が仕事をしていたので気が付かなかったのですが、聞こえて来るのは、父が降り下ろす金槌の音だけでした。父の金槌が金属を叩くガーン、ガーンという音が建物全体に反響しているだけで、あとは何の物音もしないのです。
 
 僕は、その音を聞きながら涙が出てきました。僕たち家族5人は、この父の頑張りがあったからこそ普通の生活ができているんだということを、恥ずかしいことですがその時初めて実感として感じました。浪人している自分が、父に対してすごく悪いことをしている悪者のように感じました。(以下略)
 
 先週の土曜日に出席した、結婚披露宴での話です。
 披露宴もそろそろお開きの時間となり、会場全体がみんなアルコールが入って盛り上がっているとき、新郎・新婦の挨拶が始まりました。普通は酔っぱらっている人も多くいるので、ざわざわした中で挨拶が進むことが多いのですが、この時は、新郎の挨拶が始まると、会場全体がシーンとしてしまいました。話し方も実感がこもり、涙を拭いている人も多くいました。
 みんなは、親のありがたさを実感として感じたことありますか。私は、高校の頃は何も感じませんでした。親の有難さ、考えてみて下さい。
 親に対するこの様な気持ちを教えていくのも、私たち教員の役目だと、今は思っています。


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