Nippoku Style | 青少年読書感想文全国コンクールで「サントリー奨励賞」に輝きました
 
 本校2年生の田中美優さんの作品が、(財)全国学校図書館協議会主催「第56回青少年読書感想文全国コンクール」の課題読書部門で、全国第5位に相当する「サントリー奨励賞」に輝きました。
 田中さんの感想文が、茨城県の「平成22年度読書感想文中央コンクール高等学校の部」で「教育長賞」に輝いたことは既にお知らせしました。その後、県代表として全国コンクールに出展されたその作品が、今度は全国の審査員の方々にも認められ、栄えある「サントリー奨励賞」に輝いたのです。こんな嬉しいことはありません。今回の全国コンクール(高等学校の部)では、茨城県から、自由読書部門で1名、課題読書部門で田中さんの、合わせて2名が個人賞の栄誉に輝きました。
     → 茨城県教育委員会教育長賞に輝いたことについてはこちらから御覧ください
     → 生徒図書委員中央研修会での発表の様子はこちらから御覧ください
     → 全国学校図書館協議会のWebページはこちらから御覧ください
 今回、田中さんが読んだのは、課題図書である「インパラの朝」という本です。この本は、中村安希さんが書いた、ユーラシア・アフリカ大陸を684日かけて旅行した旅行記です。この作品は、2009年度の「第7回開高健ノンフィクション賞」を受賞した作品として知られています。もう少し詳しく説明すると、第7回開高健ノンフィクション賞を受賞した「バックストリートの星たち−ユーラシア・アフリカ大陸、そこに暮らす人々をめぐる旅−」に加筆し、題名を「インパラの朝」と変えて出版された作品です。
 「生徒の活躍・作品が認められる」ということは、校長として、とても嬉しいことです。受賞の知らせを聞き、心から、田中さんに「おめでとう!」と言いたい気持ちでいっぱいです。
 それでは、今回田中さんがサントリー奨励賞を受賞した作品を再度掲載しますので、是非お読みになってください。
Little voice −見つめる先−
 世界は小さな声で溢れている。その声は、私の意識次第で遠くもなり、近くもなる。
 
 『インパラの朝』を手にした時、私はあるイメージを膨らませ、冒険への期待感を高めていた。アフリカの壮大な景色、アジアの極彩色豊かな風景、異国の自然や文化。私のイメージはみるみる広がっていった。だが、実際に読み進めて行くと全く違っていた。そこには、むしろ色のない、個々の狭い世界が広がっていた。
 
 誰もが経験するある日突然の、ふとした時に思いつくあらゆる空想。だが、その大部分は、空想の規模が大きく、行動に移せる人はなかなかいないだろう。しかし、彼女は違っていたのだ。まず冷蔵庫を売りとばすところから始まり、バックパックにシュラフを詰め、予防注射を打ち、体重を三キロ増やした。彼女のその行動力を示す、流れるような自然に放たれた言葉たちに、私は既に衝撃を受けていた。少し羨ましいと感じたのは、きっとその行動力に対してなのだろう。
 
 人それぞれ、自分に影響をもたらしてくれた言葉があるように、著者の中村さんにもこの旅をするきっかけとなる言葉があった。もし、その言葉を私か聞いていたとしても「わかってはいるよ、けどしょうがないじやないか、社会なんてそんなものだろう。」と、世の中のせいにして、聞かなかったふりをして、いつもと変わらない時を過ごしただろう。しかし、彼女は私とは逆の方を向いて、聴きに行ったのだ。小さな声を、その限りない広がりを。
 
 こうして彼女の旅は始まったわけだが、いざ蓋を開けてみると想像以上に過酷であった。それでも旅を続けたのは強い思いがあったからだと思う。その思いは、ある一文に表されていた。
インパラのように周囲のすべてを吸収し、同時に遠い世界を見据え、遥か彼方を見渡す。
まさにこれこそが彼女の思い、この旅の課題なのではないだろうか。
 
 日本での暮らしについて、日本の人々はどのように考えているだろう。私は正直なところ、よく分からない。なぜならこの暮らしが当たり前のように毎日続いていて、当たり前の事に慣れてしまうと、それはいつしか普通のことになってしまうからだ。しかし、それでいいのだと思う。小さな事に日々感謝してなるべく当たり前という意識を少なくする努力はしていきたいものだ。だが、その当たり前を日常化、常識化してしまうとどうにもならない意識の格差が生じてしまう。
 
 仮に、裕福な人と貧しい人と完全に分けられている世界だとしたら貧しい人の幸せは裕福な側の人間には勝てないのか。いや、そうではないと私は思う。やはりお互い、自分の生きてきた道、生活が普通だと思ってすごしているわけだから、結局は相手側の幸福な気持ちの度合いがわからないのだ。つまり、自分自身の基準で、その人なりの度合いで、可能な限り、人生を楽しみ歩むことが大切だと気付くことができた。
 
 国際協力や支援においてもそうである。支援する側の都合や価値観を押しつけてはいけない。基準や度合いにそぐわない支援ほど無駄なものはないのだ。先進国がよかれと思って行ったことが、途上国に住む人々の生活環境を破壊させてしまっているのも現状なのだから。何か本当に必要なのか、適切な支援が何なのかを見極め、行動していくことが必要だろう。
 
 私は今、日本という国に住んでいて(いわゆる内側にいる存在なのだけれど)外側から見た我が国は一体どのように映っているのだろうか、たまにこんな大それたことを考える事がある。その疑問は一人のパキスタン人によって解決することが出来た。根本的なところに戻ってしまうけれど、本当はそこが一番大切で、重要なポイントなのかもしれない。彼は言った。日本をとても尊敬していたと。「日本はあれだけすごい技術と頭脳を待った国なのに、その力を武力の増強や核開発に使わない、モラルのある国、すごい国だ。」と。なるほどな、と思った。自国愛でもひいきでもなく、客観的に見て、それは納得のいく答えだった。しかし、彼は続けた。「だけど突然君の国は、アメリカ側にくっついてイスラム社会に牙を剥いた。僕らはとてもガッカリしたよ。」と。私は悔しくも悲しくもなんとも表現し難い感情に襲われたが、結局返す言葉は見つからなかった。
 
 私はまだ、遠い世界を見据え、遥か彼方を見渡すことはできないが、今過ごしている狭い世界の中でも、吸収すべきことは山ほどある。いつになっても、どんな事柄でも、しっかりと本質を見つめて、確かな方向へ進んでいきたい。
 
 悠然としたまなざしで、まるでインパラのように−。


copyright (c) Hitachikita , All Rights Reserved

Supported by 日立北高等学校同窓会「北窓会